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コラム

プリズム5

コラム

雨が降る様子を眺めながら涙に擬えて“誰かが泣いている”なんて感傷的に捉えるのはマンガかおとぎ話の世界。

でもそんなふうに現実的な方向により戻そうしようと心が動いている自体、十分感傷的な証拠。おかしくって笑っちゃう。

地球上の水分量は一定で、水が水蒸気になり、雲になり、雨になり、また水になる。

ぐるぐる循環する現象の一つでしかない雨。

じゃあ、涙はなんなのだろう?

悲しさとか悔しさとか喜びの粒が、心という地球の中で一定の重量を超えた時に涙として落ちてくるのだとしたら。

雨が地球の水分の循環なんだとしたら、涙も気持ちの循環なのかもしれない。

雨は大気中の汚れを洗い流してくれるけど、涙は何を洗い流してくれるの。

私の涙に流された汚れをこうむりたくないから、あの子は傘をさす。

私が泣くのは、誰かの、何かの洗い流した汚れを受け取ってしまったからかもしれない。

子どもが泣いている。私も泣いている。

誰かの流した汚れをうけとって、また誰かに流し込んでいる。

ぐるぐる、ぐるぐる、未来永劫。

そのうち気が付くだろう。ちょうどよい傘の差し方を。

私がもっている傘の広さは狭いかも知れないけど、それなりに自分を守る差し方を会得する。

それができたら、次なる目標は、汚れを少なくすること。

決して、汚れを流してくる相手を責め立てることではない。

間違えないで。あの人も苦しかった。私も苦しかった。この子も泣いている。

それも雨の循環と同じ。ただの現象。泣くか笑うかはあなた次第。

なかせい

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